FIVE COLOR[S]INK ⼀級建築⼠事務所|⼤阪市⻄区北堀江

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【建築家    所長のきろく】

誕生日のチーズケーキと呼吸

昨日の深夜、何気にテレビを見ていたら乳がんになった女性が、ガンを治せる病気にしたいとプロジェクトを立ち上げ、
ガンとそして抗がん剤の副作用と戦いながら仲間ともに活動されている様子が流れていて、思わず見いった。

プロジェクトメンバーたちが今後の目標をそれぞれ発表する場面では、その女性のフリップには「生きる」と書かれていた。
これまで避けてきた言葉だったが活動を通して仲間と時間を過ごす間に自然とこの言葉が出てきた。と語っていた。

そんな番組を見ながら、わたしはふと今日の事務所でのお誕生日会を思い出していた。
5月は馬場の誕生日。先月は河野の誕生日。先々月は中川の誕生日。
そして来月は・・・お楽しみである。(∩´∀`)∩


  


ファイブではお誕生日の人がいればみんなでケーキを買ってお祝いをする。
これまでも務めた職場などいろんなところでやってきた。
みんなで誕生日をお祝いすることにしているその根底には、小さい頃から母が誕生日パーティーを
開いてくれていた体験があるのだと思う。







記憶がある限り幼稚園の頃から誕生日会は行われていた。兄弟3人それぞれ誕生日の近い日曜日に友達を呼んで、
子供の好きなものが並んだパーティー料理とケーキとジュースをみんなで囲んで一日遊んだ。
わたしの家だけではなく、周りの友達も誕生日会をやっていて、招待されることも幾度となくあった。
幼稚園の頃は母親同士が声を掛け合って呼んでいたのだと思う。

小学生になると母に「今度の日曜日に誕生日会をするけん、来てねって友達に声ばかけてこなんよ。」と言われて、
「へー、へー、わかりましたよ。」(´・ω・)と思いながら、学校で友達を誘っていた。
多い時で20人近く来てくれたこともあったと思う。小学校の友達、幼稚園からの友達、いとこ、などなど。。。

自分の誕生日会といっても、主役でいられるのはケーキに立てられたローソクを消す時とプレゼントを貰う時くらいで
あとはテーブルの上の料理とケーキをガッつき、オレンジジュースとコーラを飲んで、早々に外に飛び出し、
いつもの日曜日と変わらずはしゃいで遊んだ。
ただ、鬼ごっこなんかは「今日の主役」ということで、少しだけ大目に見てもらえることもあった。( ̄▽ ̄)
ついでに告白すると子供の頃はショートケーキがあまり好きではなかった。ショートケーキよりチーズケーキ派だった。
なので母はローソクフゥーフゥー&ハッピーバースデー合唱用のショートケーキと息子が好きなチーズケーキの丸形ケーキを
贅沢にも2つ、兄弟で唯一私の誕生日だけテーブルに並べてくれたのである。

思い返してみるとわたしはとても幸せ者だと思う。誰かの誕生日を祝ったり、お祝いしてもらったりを
普段の日常生活のなかで当たり前のこととして行ってこれたのだから。

そういえば、だいぶ前に「なんでそうやって誕生日をお祝いするのか」という主旨のことを聞かれたのを思い出した。

その答えは「誕生日だから」
「なんで人は呼吸するのか」と聞かれたら「そういうものだから」と答えるのと近い。
誰であろうとどんな状況であろうと誕生日はお祝いするものなのだ。太古の昔から古今東西決まっているのだ。
だから今でも地元の友達や昔の職場の同僚など誕生日を知っている限り「おめでとう」と一言だけでも
メッセージを送ることにしている。誕生日をお祝いされて嫌な人はあまりいないと思うので。

先日、母に母の日のプレゼントを贈った。
小学校のころから自ら何かしらの贈り物をしている。

母親からは母の日が近づくと毎年必ず「今年はプレゼントを頂くのを遠慮いたします」と辞退の旨の連絡が来る。
ホントは欲しいのだけれど、ここは母親なりの気遣いである。
今年は「大阪はコロナが蔓延しててあんたも仕事が大変だろうから」という理由で「母の日辞退」の通知が届いた。
ちなみに去年は「コロナで世の中ネットショッピングが多く、運送会社さんが大変だから」が理由だった。(;´∀`)

余談だが、ある一時期「母の日のプレゼントは要りません」の後に「もちろん父の日も要りません」と書かれてることがあった。
父の知らないところで勝手に辞退させられている彼の境地を思うとまったく不憫である。(;一_一)
「もちろん」ということは「わたしが母の日を辞退するのだから父の日は当然ないわよ。」という
まさに我が家のパワーバランスがよくわかる一文なのである。

しかし「そんな所を歩いたら落ちてケガするよ」と言われても、細くて少し高い所を歩きたくなるのが子供心。
「プレゼントはいらない」と言われても、贈りたくなるのが子供ゴコロである。

今年は実家の母にはサクランボを贈った。妻の母には神戸で買ったお菓子を贈った。どちらとも喜んでくれた。

サクランボは母の日よりもすこし早めに届いたが、届いたその日に早速まずは妻のスマホが鳴った。
そのあとわたしに替わった。

「開けたら可愛くて美味しそうやったけん、お仏壇にお供えする前にお父さんとふたりで少し食べちゃった。」が
電話口の母の第一声だった。後から聞くと妻にも同じことを言っていたらしい・・・
そしてLINEで送られてきたサクランボの写真は箱の中央の列が6つほど空いていた。3個づつ食べたのだろうか。
写真と共に送られてきたLINEの文字にも「お仏壇にお供えする前にお父さんと食べました。」と3度目の告白。
これは母の懺悔なのであろうか。少しでも罪の意識を和らげようとの意図があるのか。

「ほんとはね。仏さまに先にあげようと思ったのよ。でもね。あまりにもサクランボちゃん達が可愛くてね。
仕方なかったのよ。本意ではなかったのよ。仕方なくよ。。。食べるつもりはなかったのよ。」と
まるで揉み合ったあげく、はずみで殺人でも犯したかのような態度である。

そしてここでも父は「お父さんとふたりで・・」と「仏壇にお供えする前に食べた罪」の共犯者にされ、同罪となった。
まったく彼は不憫である。

またまた余談だが、この「お仏壇にお供え」は中島家の普段の行為である。
贈り物を貰ったら、お土産を貰ったら、まずはお仏壇に。が中島家の常識なのである。
家訓といっても過言ではないのではなかろうか。

関西から帰省するときに買ったお土産は一旦お仏壇にお供する。昔は母や祖母が上げていたが、
近頃は自らあげる。「はい。これね。」と新大阪駅で買った母の好きな関西2大名物「八つ橋」と「赤福」をサラッと見せて、
ついでに父にも「これ、お土産ね」とソファーでテレビを見ている彼の背中に声をかける。
特に見向きもせず放たれた父からの「おー。ありがとう。」の言葉を左から右へと流しつつ、お仏壇にお供えするのである。
それから正座しジャラジャラとお数珠を鳴らしてご先祖様に手を合わせるのである。

今は亡きおじいちゃんもおばあちゃんもあの世できっと孫の元気な姿を喜んでくれていると勝手に想像している。

話がだいぶ逸れたし、長くなったが、誕生日を祝うこと、プレゼントを贈ることはお祝いする側の喜びでもあるのだ。
お祝いする誰かがいなければ「おめでとう!」は言えない。この歳になってみて改めてそう思う。

気付けば母も父も70を過ぎた。あと何年、あと何回、母の日と父の日にプレゼントが出来るだろうか。
いつまで父と母の誕生日を直接祝えるだろうか。そして、「ありがとう」を言えるだろうか。
そう思うと息子としてプレゼントが出来ることは嬉しいことなのだ。喜びなのだ。

同じように誰かの誕生日をお祝い出来るのは嬉しいことなのだ。お祝いできる人がいることは幸せだ。
「おめでとう」と言えるその数だけ幸せだと思う。
お祝いされる側もお祝いする側も同じだけ幸せで同じだけ価値がある。

お祝いできることを翻って考えるとそれだけ豊かな人生を生きた証に他ならない。
「おめでとう」と言える関係が今でも沢山あることはまさしく今を生きていることなのだ。

これから先、どんな状況が待ち受けているだろうか。
もしかしたら仕事が無くなってひとりで事務所で働いてるかもしれない。
もしかしたら仕事が多くなって、沢山の仲間とともに設計活動をしているかもしれない。
どうあろうと誰かの誕生日が来ればケーキと共に「おめでとう」と伝えたい。
少し照れながら、遠慮がちにハッピーバースデーを唄いたい。

そして誰かへのおめでとうの言葉と感謝と共に、わたしはまだまだ強く生きているのだ。
力強く呼吸しているのだ。


中島崚真








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