FIVE COLOR[S]INK ⼀級建築⼠事務所|⼤阪市⻄区北堀江

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【ナカシマリョウマのくだらない話】

痛み

見たかったものを目の当たりにする。
聞きたかったことを耳にする。
触れたかったものに直に触れる。
その時初めて腑に落ちる。ということがある。

正確には見たいようで。でも見たくないような。
触れたいようで触れたくないような。
複雑な気持ちのまま彷徨っている感じだろうか。

見たくない。聞きたくない。触れたくない。
そう思うのは事実に触れた時の自分の心の持ちようを
持て余してしまうと先回りして考えるからだろう。
しかし見たい。聞きたい。触れたい。という衝動は
なかなか抑えられるものではないことも知っている。

核心に触れるか触れないかのギリギリのところで
すり抜けていくことを数回繰り返してみるが
当然答えを知ることは出来ない。

実はその答えは知っていて、でも正面から衝突していないので
自分の中ではまだ99%だと勝手に思い込み、
自ら作り出した残りのたった1%のために彷徨っているのである。

もう答えは分かっているのにもかかわらず、
見たい見たくない。知りたい知りたくないを
1%だけ残して間抜けにも繰り返すのである。

しかし、その彷徨の終焉は突然やってくるもので、
今回もギリギリをかすめようと思ったら
向こうから突然目の前に現れたのだ。

そうなればもう凝視するしか道はない。
突然すぎて目をつぶって耳を塞ぐこともできない。
覚悟を決めて触れてみるのである。

答えは間違っていなかったとわかるのと引き換えに
やはり想像した通り心の持ちようがわからない。

悲しいとか悔しいとかに似たやるせない感覚が
過去の時間とともに押し寄せてきてふらふらとする。
ふらふらしたまま事実をかみ砕く。
これが見たかったことだ。触れたかったものだと。

気持ちの持っていきように困った時間が幾ばくか過ぎると
その痛みに耐えながら体を整えて向き直る。
自分の手から離れていくことを認めることが
寂しくもあり悲しくもある。そして悔しさと虚しさ。
そしてその痛みは以前から抱えていたものだとわかる。
痛みは記憶であり、面影であり、なつかしさの化身だった。
痛みに耐えることではなく痛みが消えることが怖かったのだ。

しかし事実はとうの昔に手からは離れていたのだ。
指先だけは触れているように勝手に想像していただけなのだ。
事実を知った今、指先からふわりと創造の産物が痛みと共に離れ
風に乗って瞬く間に消えていった。

そう。これでよかったのだと思う。
いや。よかったと思いたかったのだ。
よかったと思った時の新たな痛みは思いのほか心地よくもあった。

どこか霧がかかり彷徨っていた心が前を向いた。
迷いはいつのまにか光の中へと吸い込まれて消えてなくなった。
またな。とひとり呟いた。

中島崚真