FIVE COLOR[S]INK ⼀級建築⼠事務所|⼤阪市⻄区北堀江

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【ナカシマリョウマのくだらない話】

いっそ無になって

先日事務所に勉強しに来ている学生くんの一言を何気なく思い出していた。

「クラスメイトとも、だんだん話すことや興味を示す方向が変わってきた」

就職が決まった学生やまだ決まっていない学生、このまま建築に進むかどうか
も含めて迷っている学生。建築でも意匠か設備か構造か、それとも施工か、メーカーか。
などなど。彼らは2年目の夏を迎え、専門学校は2年間なのであと残りは半年。

つまり、いずれにしても進む道が少しずつズレてきているってことだと思う。

学生は大変だと思う。
コロナによって一度決めた学校に通うという選択を改めて迷った人もいたはずだ。
ただでさえ混沌とした社会において人生の目標を見つけることが難しくなったこの時代。
せっかく見つけた希望の光の柱を真っ二つに割るような状況にあり、それでもなお
明日に向かって進んでいかなくてはならない現実。
夜間の学生は務めている職場があり、学校があり、家庭があり。

現実と夢の狭間で自分がどう進んでいくのか。
いま立っている場所が現実で遥か遠くに見えるのが夢で。
現実を選ぶということは夢に向かって歩くことを諦める理由を見つける作業に他ならない。

人生の目標を見つけることが難しくなったと書いたが、それは昔も今も変わらない。
ただ高度成長期の日本は「物質的満足」が国全体の目標で、みんながそれを目指し、
そして人生の目標だった。同じくバブルの頃の日本もそうだった。
もっと歴史を遡れば、いいか悪いかは別として戦前の日本はまず性別によって
生き方が大きく違ったし、今ほど自由がなかった時代では仕事も家業を継いだり、
地元で就職したりとある程度決まった範囲の中で人生の道をみつけていく人の方が多かったと思う。
江戸時代なんかは身分制度があったので、人生における活動範囲がもっと狭かったに違いない。

でも見方を変えれば、角度を変えて考えれば、それは幸せなことでもある。
僕が小学生や中学生の頃に見ていたドラマの中で良く聞かれたセリフがあって、
「親や社会が敷いたレールの上を歩くのはまっぴらだ!」という類のもの。

子供心に、確かに確かに!(゚∀゚)と、人生一発派手にいきますか!(´▽`)
なんてことをそのセリフを聞きながら思っていた訳だけど、
「敷かれたレールがある」ということはありがたいコトなんだと今では思う。

あの頃はバブルに向かって日本全体が景気が良かったし、世の中アゲアゲだったし、
いい大学に入って、一流企業に就職すれば人生安泰で楽しく生きれると誰もが信じた
時代だったから受験戦争なんて言葉もよく聞かれた。
受験によって人生が決まると多くの人が思っていた。
だからその反動で上に書いたようなセリフのシーンが生まれたんだと思う。

いま、このセリフって聞かないでしょ。
それだけ時代が変わったんだよね。敷かれたレールなんてなくなってしまってるし
あったとしてもサビだらけでどうにも使い物にならない。
今はその反動で安定して生きていきたいということの方が多いもんね。

だから敷かれたレールがあるってことはありがたいってことにもなる。
角度を変えれば、時代が変われば幸せな要素になる。

そんな時代に改めて勉強して建築の世界で生きていこうと思うってことは大変なことなんだよね。
建築の世界だけではなく、今までとは違う畑に行って耕すことは骨の折れることなんだよね。

国や親が目標を与えてくれない時代だから、自分で見つけ出すしかない。
見つけ出すしかないのか、自然にそういう気持ちになっていくのか。
自分の人生、なにか目標を持って生きていきたい。自分らしく生きたい。と

専門学校の学生生活は短い。

何が言いたかったか分からなくなったけど、そういうことだ。どうゆうことだ。

人の人生は小さくてもいいしささやかでもいいから目標をもって生きた方が楽しい。
でも人生目標を見つけるのはとても大変なことだ。
だからいっそ無になって突き進んでみればいいと思う。
それが出来る時代でもある。


中島崚真




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