FIVE COLOR[S]INK ⼀級建築⼠事務所|⼤阪市⻄区北堀江

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【ナカシマリョウマのくだらない話】

古代人は何を思う

先日、中之島にある国立国際美術館で行われている古代メキシコ展に行ってきた。
やはり古代の遺跡やそこから出てくる遺物というのはとても興味をそそる。
しかもかなりきれいな状態で発掘されており、何百年も経過したとは思えない状態の遺物が多く
なにか悠久の時を感じつつ、どこかリアルに想像を掻き立てるのには十分だった。

いわゆる土偶のような物もとても緻密に出来ており、ついつい顔をガラス面に近づけて観察していると
『おいおい、お前さん。それ以上顔を寄せてガラスにおでこ擦り付けるんじゃないぜ』と言わんばかりに
美術館の監視の人がこちらを見てくる。
スーッと立ち上がり、前のめりで体重が前足にかかっている。隙あらばいつでも発動するぜ的な態勢である。

そういったやりとりを繰り返しつつ、精巧に出来た展示物を見て回った。

こんな時についつい思ってしまうのは、
「昔の人って今みたいに科学や最新のデジタルテクノロジーとかないのに凄いよね」
である。皆さんも何度も口にしたのではないだろうか。

しかしこれはきっと逆なのだと改めて気づく。
科学もテクノロジーもないからこそ古代人は身体的、精神的にそういったことを身に着けていたのだ。
これを我々は神秘的と言うが、彼らからすれば神秘的でもなんでもなかったのかもしれない。
科学を信じすぎた我々は自分たちの内なる力を信じなくなり、退化してしまったのではないかと思う。
科学とテクノロジーの進歩によって人間そのものはどんどん退化している。

土器などはとても美しかった。磁器を思わせるようなツルっとした仕上がり。
文字や絵も描かれていて、その絵などは現代のアートに繋がっている気すらする。
どんな思いで描いていたのか。ホントはどんな意味があるのか。

ピラミッドなどの遺構を作る時、働いた者たちはどんな会話をしていたんだろうかと思う。
たぶん日常の何気ない会話だったんだろうなと想像する。カミさんと昨日喧嘩したとか
給料が安いとか(貰っていたかどうかは不明)飲み屋のねえちゃんがどうとか(キャバクラがあったかどうかは不明)
そんなくだらない話をしながら大きくて重い石をセッセと運んだのだろう。

まったくくだらない話をするような古代人でも、いざとなったらサクサクっと天文学の知識を披露して
難しい計算などもお手の物だったろう。見えないものまで見ていただろう。望遠鏡なんか使わなくても
星の動きを読めたし、その動きで明日の天気や気候の変化がわかった。

まあこの想像も我々現代人の物差しで考えているけど。。
古代人って何考えてたんだろう。。